国立新美術館で開催中の『ピカソmeetsポール・スミス』展へ行ってきました。私が訪れたのは開催直後の金曜日の夜。仕事で東京に滞在していたのですが、金・土は20時まで開館しているので、仕事後いそいそと六本木へと向かいました。ピカソの展覧会をポール・スミスがキュレーションするということで、まだ経験したことのない鑑賞体験ができるのでは??とワクワクしながら向かいました。さらに、国立新美術館はいつか行ってみたい美術館の一つだったので、この建築を見られる!しかも中に入れる!と自分の目的が何個も果たせる事に興奮で歩く速度もどんどん上がり、息も上がって到着。

夕暮れの国立新美術館。是非とも生で見たいと思っていたガラスのカーテンウォールが目の前に!国立新美術館について書き出すとピカソの展示まで辿り着けなさそうなので、建築については別記事にしようと思います。
ピカソmeetsポール・スミスー遊び心の冒険へー

入場するとまず目に入るこの展覧会ロゴ。もうかっこいい!2023年にパブロ・ピカソ(1881-1973)の没後50周年を記念してパリ国立ピカソ美術館で開催された「ピカソ・セレブレーション:コレクションに新たな光を!」を元に再構成された国際巡回展です。学生の時にパリ研修旅行があって、その時に訪れたことがあるピカソ美術館。それまで漠然と『巨匠』というイメージの中にいたピカソがとても身近でお茶目で好奇心が子供並みにあるとても面白い芸術家という具体的なイメージに変わり、一気にピカソのファンになった思い出の地です。あの場所でこのピカソmeetsポール・スミスの元になった展覧会をやっていたのかー。見てみたかったな!でも、今ここで見られることも幸せです!このタイミングで東京にいてよかったー。
牡牛の頭部(1942年春)
00:トロンプレスプリ〈精神を欺くもの〉とタイトルをつけられた第一の部屋では、自転車のサドルとハンドルを組み合わせて牡牛の頭部を作り上げるアッサンブラージュが真っ白い壁の中央に悠々と展示されていました。

友人の彫刻家フリオ・ゴンザレスの葬儀に参加する道中でゴミ捨て場で見つけたサドルとハンドル。フリオ・ゴンザレスはピカソに溶接技法を教えてくれた人だそうで、突然の友との別れの時に作られた作品の中には悲しみと共に、一緒に過ごした楽しかった時間を閉じ込めたようなそんな雰囲気を感じました。少し寂しげだけど、とても優しい空気感のある作品だなと思いました。

『牡牛の頭部』の両サイドには自転車好きのポール・スミスがピカソの作品から受けたインスピレーションを元に整然と並ぶハンドルとサドルを展示。一つだけポール・スミスと言えばのシグネチャーストライプのサドルが何食わぬ顔でいるのが面白かった。ピカソ作の『牡牛の頭部』は少し寂しさを湛えているけれど、その発想、あるものが全く別の違う何かに見える瞬間という人間なら誰しも一度は体験したことがある、でも、立ち止まらずに通り過ぎてしまいがちな感覚を大切に拾って好奇心へと展開するその純真なエネルギーを心から楽しんでいる雰囲気が出ていて、悲しみの淵にあっても人間はちょっとしたことにクスッと笑えたりするよねっていう人生観のようなものを感じる展示でした。
「ヴォーグ(流行)」中の芸術家

ヴォーグの表紙が壁一面に整然と並んでいる空間。ピカソとヴォーグ?と思いましたが、ピカソは子供の頃から雑誌や漫画を愛読し、13歳の時には自前の雑誌を制作しているとのこと。ピカソが天才すぎて、子供の頃のデッサンとか美大合格間違いなしのレベルだったりしたことは知っていたけど、13歳で雑誌まで作っていたとは知らなかった。そんなピカソが1951年5月号の「ヴォーグ・パリ」に描き入れた絵を展示しているのです。歴史の教科書に、国語便覧に、やったよね!っていう悪戯書きのようなイラスト。思わず笑っちゃうような絵や、風刺がきいているところにピカソのセンスを感じます。悪戯書きとはいえ、出鱈目さはなく写真に対する別角度からの解釈を求めるような挑戦をしている。ウェディングドレスにしがみつく悪魔のようなイラストは流行を作り出すヴォーグのあり方に、その流行を自分のものとして咀嚼することなく靡く消費者に対するアンチテーゼのようにも見えました。
青の時代の部屋から見る、ヴォーグとバラ色の時代

ピカソmeetsポールスミスの展示はこのようにテーマ別に部屋を移動するような仕掛けになっていました。それぞれのテーマでの展示作品は多くないので、一部屋ごとにゆっくりとじっくりと作品を観察し少し見える次の部屋の空間に期待が膨らむという自分の中に広がる感情をしっかり受け取りながら歩を進めることができました。パリのピカソ美術館がたくさんの部屋があるのを生かした展示だったそうで、それを国立新美術館で再構成したのがこの箱のような部屋の展示方法だったそうです。平らで天井の高さも均一な美術館という中に変化に富んだ楽しい空間が生まれていて部屋を移動するのが楽しかったです。
バラ色の女性たち《アヴィニョンの娘たち》への前奏曲

バラ色の女性たち、とタイトルがつけられたお部屋は一面バラ色の壁。赤すぎずピンクすぎずの心ときめくバラ色です。この部屋に入ると、自分までバラ色の女性たちの一員になれたような気がしてしまった。おこがましいけど。そんなんもあって、心ときめくお部屋だったのかな。
説明する必要もないくらいキュビズムを代表する作品の『アヴィニョンの娘たち』。「前奏曲」というタイトルがピカソの数知れない挑戦を想像するのにぴったりだなと思いました。アフリカやオセアニア美術の影響とセザンヌのヴォリュームに対して行った幾何学化の応用。たくさんの実験を繰り返しながらあの『アヴィニョンの娘たち』が生まれたのかとその労力と時間に思いを馳せました。

この空間、やっぱりいいなー。次の部屋にいる人たちは、今の私とは違う時空にいるみたい。この通路を越えると私も次の時空に行っちゃうから、越えるかまだ止まるか。。。どっちにする??って一人遊びみたいなことをしながら展示を巡りました。
キュビズムの実験室

バラ色のお部屋から一転ベージュの壁に彩度の低い絵画が展示された空間は『キュビズムの実験室』。いらないものを取り払った無垢な空間はキュビズムの実験を繰り返すピカソの集中した眼差しが見えるよう。見えている現実をさまざまな角度から断片化して、キャンバスの上で組み立てる。一見、何を描いているのかわからない抽象的なものに見えるけれども、何を描いているかのヒントは必ずある。対象物を分析して解体して再構成する、どうやったらこんな境地に行けるのかな。私も絵を描くけれども、こんな事を考えたことがないので、その探究心や表現したかったものが未知すぎてピカソに興味を抱きます。この部屋で、頭でっかちにピカソを分ったふりをするのはやめようと思いました。天才の考えることは凡人には理解し得ないところがあるけど、たくさんのピカソを研究している方々がいるので、いろいろな方の分析を参考に私なりの解釈ができるようにしたいなと思いました。
ポール・スミスの落書き



次の部屋へ移動する通路の壁に描かれた落書きみたいなイラスト。こちらはポール・スミスが会場に訪れた時に自ら描かれた落書きだそうです。なんて遊び心があるんだろう!キュビズムの実験室で頭がパンパンになったところにこんなほっこりイラストが現れて、膨らみまくっていた脳みそからシューーっと空気が抜けていくようでした。可愛いな〜。
アッサンブラージュとコラージュ

アッサンブラージュとコラージュの部屋は可愛らしい壁紙が敷き詰められていました。ピカソは日用品などを作品の中に取り入れてコラージュしたり立体の作品を作ったりしていました。この辺りの作品が私は好きです。可愛いという言葉で済ましてしまうのは雑と分っているけど、かわいい!幼い子供の作品にハッとすることがあると思うのですが、全てがそんな感じというか。それを子供ではなく、たくさんの経験を経て地位も名誉も築き上げたピカソが、こんなにも純粋に、大人の目では気が付かない視点でモノを見て、それを利用して作品を作るということが、やはり常人にはできないことなのではないかと思います。そして、子供ではない証拠に、何を作っているのか何を表現しているのかということを作品の中にヒントとして残すことを、これまた洒落た表現で作品の中に残しているのです。
子ども時代

この展覧会で一番楽しみにしている作品がこの先にある!このアプローチ、素敵すぎる。黄色と水色の組み合わせがセンスの良いおもちゃ屋さんみたいで、子供達がきゃっきゃと走り抜けるところを想像してしまいました。

だんだん近づいてくる!椅子に座ったあの子に会うまであと数メートル!

『人形を抱くマヤ』と『アルルカンに扮したパウロ』

『アルルカンに扮したパウロ』と『トラックの玩具で遊ぶ子ども』
壁の色や模様はそれぞれの絵画の中から取り出されたもの。この展示、めちゃくちゃ良かったなぁ。他の方達も止まってしまうよね。この日は全然混んでなかったので、ちょっと待てば誰もいない空間で写真を撮れたことが多かったのですが、この部屋は流石にそのチャンスはなかったです。
アルルカンに扮したパウロが1924年の作品、人形を抱くマヤが1938年、トラックの玩具で遊ぶ子どもが1953年、ということでさまざまな年代の作品を「子ども時代」というテーマで一堂に鑑賞できるのも良かったです。並べてみると、写実的で古典的なタッチで描かれたパウロに対してキュビズム全開なマヤの絵は、本人が見たら「なんで私はこんな感じなの。。」ってならないのかなぁ、なんて疑問も浮かんできたのですが、この顔のパーツの歪みは娘のコロコロ変わる表情を一枚の絵の中に収めたいと思ったピカソの親心なんだそうです。娘が大事にしているセーラー服を着たお人形をそのまま描いたり、可愛らしいお洋服や髪飾りからも娘への愛情が伝わってくるなぁと思いました。ストレートに可愛いパウロの絵にこれが見たかったと非常に満足し、おもちゃで遊んでいる時の夢中な状態が手に取るようにわかる絵に伝える力が半端ないと思ったり、マヤの絵への奥深さを感じたり。ピカソの優しい目線をたくさん感じる空間でした。
闘牛

真っ赤な部屋に展示されるテーマは『闘牛』。鮮血のような赤の空間は少し怖いくらいのエネルギーがある部屋でした。スペイン出身のピカソにとって闘牛はとても魅力的なものだったのだなと思いました。闘牛に免疫のない私は、小さい頃にテレビで見た映像だけでも「なんでこんなことやるんだろう?」という、牛が可哀想っていう感想しかなく、それはこの展示を見ても変わらないのですが、それはそれとして作品を鑑賞しました。ピカソにとっては死とセクシュアリティと聖なるものが絡み合う場として闘牛、そしてアレーナ(闘牛が行われる砂場)と観衆とそれを包み込むすべての空間が完成された見せ物として捉えていたそうです。闘牛士が死ぬ瞬間を捉えた絵は、私にとってはセンセーショナルな場面に映りましたし、グロテスクに感じて目を背けそうにもなりました。それほどまでのリアリティと会場に沸く空気感が表現された絵画だったのだと思います。ゲルニカを描いたピカソが一方では嬉々として闘牛の絵を描いている、人間の多角的な思考を見た気がします。

「牡牛の頭部」。この立体作品からはピカソの闘牛好きな気持ちが伝わってきました。
興味深かったのは「ラ・タウロマキア(闘牛術)」が1959年に復刊された際にピカソが同書の挿絵として制作した28点の版画が展示されていたのですが、このようなタッチのピカソの作品を初めて見たのでとても面白かったです。スミ一色で描かれた(版画)ラフなタッチのものなのですが、躍動感がすごくて人の動きで風が吹き抜けるような俊敏さを感じました。どの絵も当たり前に静止しているのに、動いている!音までも聞こえそうなくらいの凄い版画でした。
ストライプ


ポール・スミスのトレードマークとも言えるストライプとピカソの絵が合わさって、とてもポップで明るい部屋になっていました。図録にあったポール・スミスの言葉に「作品を展示するとき背景を無地にするのは、世界中のどんな家や美術館でもよくやっていることだけれど、何か違うことをしてみたら面白いだろうと思ったんだ」とあって、まさに狙い通りに面白くなっている!と思いました。ストライプの部屋に飾られた作品のモデルはピカソの恋人たち。この展覧会を観る少し前に原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』を読んだところで、主役とも言えるポジションにいたドラ・マールに興味津々だったので、ピカソが描いたドラを生で見られるのが嬉しかった!ピカソがいてドラがいて、その間にこのキャンバスがあったのかと思うとドキドキします。そして、ドラがライバルとして睨みをきかせてたマリー=テレーズ・ワルテルの絵が同じ空間に飾られているのも、小説の中にみたバチバチしたものをこの空間でも感じざるを得ませんでした。ピカソ、罪な男だね〜なんて思いながら。余計な妄想で面白くなっちゃうのもこのストラプの部屋の魔法なんじゃないかと思いました。
戦時中

ストライプの部屋で、面白おかしく妄想していたところから一変、戦争に対するピカソの静かに燃える怒りと先行きが見えない不安な時代を表すどんよりとした空気が混じったグレーな部屋。真っ黒ではないところに、ピカソのファシズムに反対する、自らの絵で対抗していくという意思を感じました。やはり『暗幕のゲルニカ』を読んだことで、まさにゲルニカが出来上がるまでの様子を自分も見た気になっているので、同時代に描かれた絵を直接見られたことに感動しました。武器ではなく絵筆を持ってピカソは闘っていたんだなぁ。あれだけの大きな過ちを犯した人類が未だ戦争をやめられない現実。ピカソにとっての未来を見たら、今はどんな絵を描くんだろうか。『戦時中』の作品を見たことで、本物のゲルニカをいつか必ず見に行きたい!と強く思いました。
一点もの

ピカソの陶芸が大好きです!また見られて嬉しい!

整然と並んだ白いお皿の中にあると、ピカソのユーモラスな作品が輝きをましていました。上段左のイワシのお皿のイワシはかなり美味しそう。このお皿で焼いたイワシを食べてみたいな〜。真ん中右のスペインの陶器皿はタイトルを見る前に「スペインっぽい!」と私でも思えるほど。ギラっと笑った太陽が中央にいて、明るくて緑あふれるスペインのイメージが詰まっているな〜と思いました。

こちらのかなり詳細に描かれた甲冑を着た騎士が描かれたお皿がカッコよくて、ミュージアムショップで缶バッジを買いました。自分の好みからすると、その方向ではないんだけどなんだかグッときました。
草上の昼食

マネの《草上の昼食》を再解釈するという挑戦的な作品群。床には人工芝が敷かれていて、鑑賞者も草の上にいて絵画の一員になってピカソに再解釈されているような感覚になる。



このゆるくて可愛いおじさんたちはなんだ??と釘付けになったマケットと呼ばれる厚紙を切り抜いた雛形です。これを拡大してコンクリートで作った巨大人物像がストックホルム近代美術館の庭園に設置されているって面白すぎる!見てみたいです!
ピカソの「巨匠たち」に向かい合うというプロジェクトを知らなかったのですが、かなり興味がわいています。再解釈して絵を描くというのは説明されれば理解できなくもないけど、このおじさんたちが出てくるのはぶっ飛びすぎてて私の理解が全く追いつかない。少しでも天才の頭の中を理解したいなと、この時期のピカソを調べてみようかと思っています。
ピカソのボーダーシャツ

ピカソのファッションの中でも定番として浮かんでくるのがボーダーシャツ。さらりと着こなしたボーダーシャツがめちゃくちゃオシャレでかっこいい!天井にたくさんのボーダーシャツが展示されていて、その奥に大きなピカソの写真。素敵すぎるーーと思ってみていたら、テーブルに置かれた手がパンでビクッとなる。こんな激渋なかっこいい表情してるのに、どこまでもユーモアがある。ここまで見てきた多才なピカソ作品はこの人から作られているんだということを改めて深く納得。
晩年 1969−1972


ピカソの没年を目にすると、私が生まれるほんの少し前までピカソは生きていたんだといつも思います。少しの親近感と共に、ほんのちょっとでも生きている期間が重なっていたかったなと悔しい気持ちになります。重なったからといって会えるわけではないんだけど。晩年と言われる1969年12月15日から1971年1月12日にかけてデッサン194点、1971年11月21日から1972年8月18日にかけて版画156点、1969年1月から死に至るまで油彩350点を完成させているそうです。なんというバイタリティ!神様、ピカソに健康な肉体と長い寿命を与えてくれてありがとう!(信仰心はありませんが)と、感謝してしまいますね。後世を生きる私たちがこんなに夢中で楽しめる作品をたくさん残してくれたことがありがたすぎる。そして、ただただ描いていたわけではなく、まだまだ成長する新しいピカソが晩年の作品に現れていて、なんという芸術家なんだ!と恐ろしさすら感じます。
展覧会のピカソ


たくさんの展覧会を開催したピカソのポスターがギチギチに貼られた壁は、まるでライブハウスのようでした。生きているピカソがリアルタイムで開催した展覧会。街中に貼られたポスターが人々の目に留まり彼の創作を親しむことができた時代を心から羨ましく思います。このライブハウスのような展示は、その時代の空気感を疑似体験できるようでとてもワクワクしました。
ミュージアムショップで買ったもの

図録を買う予定はなかったのですが、図録までカッコよくてついつい買ってしまいました。このブログを書きながら今一度じっくり読んで、買って良かったと思っています。普段ポストカードは買わないのですが、草上の昼食のおじさんがポストカードになっていて、これは。。。買わないわけにいかぬ。。せっかくなのでポール・スミスと名のついたものも欲しいなと思っていたのですが、ピカソと違ってボーダーが全く似合わない私。Tシャツは断念して、ハンドタオルを購入しました。陶器で気になった甲冑を着た騎士の缶バッジがあったので、こちらは迷わず購入。そして、買い物後に使う機会はないだろうけど可愛すぎて購入したショッパー。アルルカンの模様が良すぎるんだよなー。
大大大満足のピカソmeetsポール・スミス。会期は残り1ヶ月を切ったので、私が行った時のようなゆったり鑑賞はできなくなっているかもしれませんが上野のゴッホ展や大阪のフェルメール展のような混雑具合にはなっていないっぽいです。ピカソmeetsポール・スミス、めっちゃおすすめです。
各部屋を巡っていく展示も物凄く楽しかったのですが、ミュージアムショップで色々見ていた時に「ん?この作品見た記憶がないぞ。。」と嫌な予感。ホテルに帰って図録を確認したところ、「古典主義の画家」の部屋をすっ飛ばしていたことに気がつきました!一瞬、どちらに行こうかと迷った時があったなーと思い出す。あーあ。これから行かれる方はこんなことにならないように、順路を確認しながら回ってください。見落とした私は図録を読み込みます!
